くにおくんとの関わり
90年代前半、小学校1年生のころ、ファミコンのくにおくんシリーズは親に買ってもらってかなり遊んだ。所有していたファミコンソフトの半数は、くにおくんシリーズだったと思う。
一番最初に買ってもらったのは緑のカートリッジの「ダウンタウン熱血行進曲」でいわゆるくにおくんの運動会、その次に「ダウンタウン熱血物語」だった。
特に熱血物語は全然クリアできなくて強く印象に残っている。というのも、当時の自分はアホだったので、マルカ配送庫の「にしむら」を倒した後、花園公園まで戻って「きのした」を倒すというフラグがわからずにそのまま進めてしまい、それ以降のボスが出ないという状況を理解できず、一生ループしてしばらく詰んでいた。このソフトバグってるんじゃないの?ってずっと思っていた。
でも、今みたいに手軽にソフトを買えるような時代じゃなかったから、その詰むまでの状況をひたすら遊ぶしかなかった。ちゃんと攻略できてエンディングを拝むまでに半年くらいかかった気がする。
くにおくんの音楽
くにおくんのBGMはどれも好きなのだけど、脊髄反射で浮かぶのはこの熱血物語の「冷峰学園エリア」だったりする。岸本良久さんの訃報を聞いて5分後にはDAWを立ち上げて耳コピしていた。くにおくんのBGMの耳コピをしたのは高校時代が最後なので、実に20年ぶり。もうそんな経ったか。
作曲は澤和雄さん。実は後から知ったのだけど大学の遠い先輩だった。澤さんも24年に亡くなったとのこと。
くにおくん、かつ澤和雄さんと言えば12小節のブルース進行の楽曲が印象的で、テクノスの時代的にも、その当時のくにおくんを取り巻く昭和のツッパリ環境的にもよくマッチしていて、くにおくんワールドの象徴のようにも感じる。
一方、最終ステージである冷峰学園のフィールドでは雰囲気がガラッと変わり、それまでのブルースの雰囲気から一転、硬質でミニマルなテクノっぽい音楽になる。セーブもできなかったので、到達感と緊張感が混じりあったような雰囲気が助長されるようで、ドキドキしながらコントローラを握っていた。
僕も音楽で飯を食ったことがある人間ではあるけど、澤さんとはタイムラグが30年以上ある。その当時の作曲作業はどんな感じだったんだろうというのは、パッケージ化されたDTMというオモテナシ環境から始めた僕からすれば想像も実感も湧かない。ヤマハのDX7とかFMシンセが流行りだした頃ですよね、とか疑似懐古に思いを馳せ、いろいろ妄想しながら音色選びをするのは楽しかった。
くにおくんから学んだもの
最後に遊んだくにおくんは、小学校3年のときに親に買ってもらったスーファミソフト「初代熱血硬派」。大阪を舞台にしたこのソフトで、「梅田」「難波」「通天閣」というような大阪のシンボルや地名を学んだりした。エセ関西弁を覚えたのもこのころだ。おおきに。
今思うと、時代劇では「蝦夷」「河内」「肥前」というような日本の古い地名や、丁半を賭ける「賭場」という文化、ホッケーでは「大雪山」であったり、「オクラホマ州」だったり、くにおくんシリーズから学んだ知識って結構ある。異世界ではない「隣町にいそう」というリアリティが好きで、穴久保幸作著の漫画「おれは男だ!くにおくん」も全巻揃えて読んでいたほど。
くにおくんで色々学んできた知識というのは、何か大人を先取りしているようで楽しかった。
それらを世に送り出してくれた先人たちが旅立つという報を目の当たりにすると、のらりくらりと老化して実感のない自分の人生の振り返りを強制的にさせられるようで、どこかハッとするような気持になる。
この記憶はこれからも大事にします。ありがとうございました。















