2代目 干瓢うぉっち

サウンドエンジニア/クリエータ観点の話を中心にダラダラ覚え書きするブログ

少年ヤング

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電気グルーヴの「少年ヤング」という楽曲のMV。今でもたまに観てしまう。


二次元、三次元、漫画、VTuber、俳優、問わず全てに言える事だと思うけど、作品というのはかっこよく、正しく、美人であろうとするし、美人でなくても愛嬌とか、ポジティブな意義を求める。僕らはそれに慣れている。少しでも好みから外れると違和感さえ感じる。でも現実としてあるのは、(悪気はないけど)母親やすれ違うおばちゃん、性格の悪いオッサンが現実であり、イケメンや美人ばかりではない、そんな世界に僕らは生きている。


少年時代というのは、経験の少なさから、感化されやすくて、理想の敷居が低かった。

小学校の頃の話。

21時に塾が終わり友達と自転車で帰る途中、暗い路地に「夜しか中身が見えない」マジックミラーの自販機があって、その中には現代のスナック菓子の自販機のように、いわゆる「アダルトビデオ」が陳列されていた。


蛍光灯の青白い光に映し出されるアダルトビデオのパッケージは、当時の感覚で言えば、隠しダンジョンのレアアイテムのようだった。

友人と3人で稚拙な談笑をしながら、5分くらい自販機の前でたむろする。夜も更けて、周りも暗く人通りは少ない。集団心理なのか、いけないことをしてるんだに似た背徳感と好奇心を抱きながら、マジックミラーの中を覗き込んでいた。


今思えば、そのパッケージの女優さん、どれもすごくブスでオバサンだった。

ベッドの上でぺったんこ座りした女優が、シーツに下半身を擦り付け、ワイシャツ一枚をはだけさせ、上目遣いで誘うようにこっちを見ている。そんなパッケージは「非日常」で、脳裏にすごく焼き付いた。その後、家に帰っても、そのパッケージのオバサン像は鮮明に蘇って、性行為もろくに知らない「まだまだ子供」であることを自覚しながらも、夜な夜な想像で興奮した。恋にも似たような感覚であった。


少年なりの「美人像」というのがあった。

それが世間一般から見れば美人じゃないとされる風貌でも、すごくキラキラ着飾っていて整っている、美人ってこんな感じだろうなぁと思ってしまう。少年の経験の無さからくる想像は、無理してる感や整って無い感じがあり、ダイヤモンドと炭がチャーハンのように入り混じっている。それがそのまま思い描く「理想の彼女像」に似た既視感を感じさせた。

美人の定義が凸凹していて、歪んでいる。少年ヤングのMVに出てくる人たちって、まさにその当時思い描いた美人像だと思った。

少年ヤングという曲はとても爽やかで、まるで「まだ見ぬ大人の世界への期待」を感じていた頃のような、希望に満ちた純心さを助長させる。よくこんなMVつけたなと、観るたびに感心してしまう。


今このMVを見れば「美人も美人じゃない人もいるよね」っていう冷静な感想を抱くけど、こういう感じにすごく興奮した時代というのは確かに一瞬だけ存在し、社会経験を積むにつれてすぐに消えて行った。

作者も言うように、このMVがおふざけで「ブス含有率高し」なのか、少年の歪んだ美人像を狙ってやってるのか、それはわからない。


でも、そんな少年ヒストリーを、「わざとらしくこじ開けられる」ようなえぐみも感じさせず、スッと入ってくる感じは恐ろしく、癖になる。だからたまに観たくなるのだと思う。